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統合前の晋州市議会

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統合前の晋州市議会

1949年7月4日、法律第32号地方自治法が制定・公布され、同法付則第1条の規定に基づいき同年8月15日から地方自治体が施行ことになっていたが、政治・社会的条件などによりその実施時期が延期となっていたが、1952年4月25日に市・邑・面議会議員選挙が、5月10日には道およびソウル特別市議会議員選挙が実施されるに伴い、草の根民主主義の源泉といえる地方自治制が実施されることとなった。

初代議会(晋州市議会、晋陽郡面議会)(1952~1956)

1952年4月25日に実施された初代議会議員選挙は、道内の釜山、馬山、晋州市の3市18の選挙区と、晋陽郡をはじめとする19郡239の邑・面699の選挙区、計717の選挙区で議員定数3,017名の市・邑・面議会議員を選出する投票が一斉に行われた。晋州市は5つの選挙区に71名の候補者が立候補して晋州市議員定数20名を選出し、晋陽郡は16面48の選挙区に377名が立候補して晋陽郡面議員定数184名を選出した。

第2台議会(晋州市議会、晋陽郡面議会)(1956~1960)

1956年8月8日、市・邑・面議会議員選挙が市・邑・面長選挙と同時に実施され、地方議会議員選挙は任期満了による選挙であったが、市・村・面長選挙は韓国で初めて実施されたものであった。道内では釜山、馬山、晋州、忠武、鎮海、三千浦市の6市40の選挙区と晋陽郡をはじめとする19郡231の邑・面・675の選挙区など715の選挙区で。議員定数2,746名の市・邑・面議会議員を選出する投票が一斉に行われた。晋州市は6つの選挙区で32名が立候補して晋州市議員定数15名を選出し、晋陽郡は16面48の選挙区で218名が立候補して晋陽郡面議員175名を選出した。

第3代議会(晋州市議会、晋陽郡面議会)(1960~1961)

第2共和国が樹立された年、政府では地方自治体の選挙実施を推進し1960年12月19日、市・邑・面議会議員選挙を実施して都内釜山、馬山、晋州、忠武、鎮海、三千浦市の6市37の選挙区と晋陽郡をはじめとする19郡233の邑・面717の選挙区、計754の選挙区で議員定数2,754名の市・邑・面議会議員を選出する投票が一斉に行われた。晋州市は6つの選挙区で42名が立候補して晋州市議員定数15名を選出した、晋陽郡は16面49の選挙区で面議員定数176名を選出した。

市・郡議会(第4代晋州市議会、第1代晋陽郡議会)(1991~1995)

5.16軍事政変により、1961年5月16日午後8時を期して布告令第4号に基づき全ての地方議会が解散することとなり、約10年間施行されてきた地方自治制が中断された。その後約30年間地方議会は構成されず、議会の権限は上級監督機関にて代行された。1990年12月31日、法律第4310号で地方自治法が改定公布されるに従い、1991年3月20日に基礎自治団体である市・郡・区議会議員選挙が実施された。

地方議会議員選挙法および慶尚南道市・郡議会議員選挙区と選挙区別議員定数に関する条例の規定に基づき、市・郡・区議会議員選挙区は邑・面・洞(地方自治法第4条第5項の規定による行政洞をいう。以下同一。)の行政区域単位で確定し、議員定数は邑・面・洞ごとに1名とするものの、人口2万人を超過する洞は毎2万人ごとに1名ずつ加えるとしており、

晋州市は第4代晋州市議会議員として、24選挙区のうち無投票選挙区である南城洞と大安洞を除く22の選挙区で63名が立候補し、上鳳西洞、上大2洞、平居洞選挙区は各2名ずつ、その他選挙区は各1名ずつ議員定数27名を選出した。晋陽郡は従来の面議会議員から郡議会議員に昇格し、第1代晋陽郡議会議員として16の選挙区で40名が立候補し、選挙区ごとに各1名ずつ議員定数16名を選出した。